気づけば会社が家の居間みたいになっていた
「人生、会社中心で回ってます」なんて言うと、熱心なキャリア志向の人に聞こえる。でも現実は、ただの時間泥棒に人生を預けているだけだったりする。
朝起きて最初に浮かぶのは家族の顔ではなく、「今日の会議資料、間に合うかな」。夜眠る前に考えるのも「明日は朝イチでクライアント打ち合わせ…」。
気づけば、家のソファより会社の椅子に座っている時間のほうが長い。子どもが使うお箸より、会社のパソコンのキーボードを多く叩いている。休日に家のソファに座っても、無意識に姿勢が「会議中の自分」になっていて笑えてくる。
こんな生活を「充実」と言い聞かせてきたけど、冷静に考えたら、これは職場依存症に近い。しかも、誰も治療してくれないタイプのやつだ。
「会社中心」が標準設定だった昭和モデル
私たちが社会に出た頃、日本はまだ戦後の昭和モデルの延長線上にあった。会社に尽くすことが人生の証明。家は“休憩所”、家庭は“会社に行くために整える場所”だった。
男性は外で稼ぎ、女性は家庭を守る——そんな分業モデルが標準装備。平成の真ん中あたりから共働きが普通になったけれど、この古いOSはほとんどアップデートされずに残ったまま。
だから今でも、「家庭・家族中心に生きる」なんて言葉は、なぜか“わがまま”や“意識高い系”のカテゴリーに押し込まれる。日本社会のアップデート速度、昭和レトロにもほどがある。
家族のために働くはずが、家族の顔を見ない矛盾
「家族のために働く」と口では言いながら、実際には家族と過ごす時間は削られ、エネルギーは会社に吸い取られていく。
子どもの誕生日に会議を優先し、「あとで埋め合わせするから」と言いながら、その埋め合わせは次の出張や納期で延期される。休日も「ちょっとメールだけ」と言ってパソコンを開け、気づけば3時間経過。子どもはもう公園から帰ってきて、こちらを冷ややかな目で見ている。
愛する人のために働いているのに、その人たちの顔をまともに見ない。これはもう、「健康のためにタバコを吸う」と同じくらい矛盾している。目的と手段が、見事にひっくり返っているのだ。
氷河期世代の悟り
氷河期世代の私としては、この結論にたどり着くまで30年近くかかった。就職氷河期、必死で働いた。景気は回復しないし、給料は据え置き。昇給なんて都市伝説かと思うくらい、30年間ほぼ同じ額面。
必死で働けば報われると思っていた。でも現実は違った。政治も会社も、個人の幸せなんて守ってくれない。評価制度も景気対策も、すべては“企業を存続させる”ためのもので、そこで働く個人の人生までは一切面倒を見ない。
だったら、自分で自分を楽しく生きるしかない。そうなると、会社を生活の中心に置くなんて発想は、もう持てなくなる。家庭や家族、自分の趣味や健康を真ん中に置いて、その周囲に仕事を配置する。それこそが、私の新しいOSだ。
家庭・家族中心にすると何が変わる?
生活の真ん中に家庭を置くと、優先順位が一変する。
- 残業より、家族で食べる夕飯を優先
- 昇進より、子どもの運動会を優先
- 始業前のメールチェックより、朝食をゆっくり取る
こういう選択をすると、確かに出世レースからは距離を置くことになる。でも、それは「負け」ではなく「降りた」だけ。ゴールが自分の望む場所じゃないとわかったら、レースから降りるのは賢い選択だ。
私はもう、競争トラックから降りて、芝生に座っておにぎり食べながらゴールを眺めている側にいる。これが意外と快適なのだ。
日本社会は“家庭”を軽視してきた
家庭中心が難しいのは、日本社会が長らく家庭を軽視してきたからだ。長時間労働は美徳、育休を取れば昇進は遠のく。時短勤務をすれば「やる気がない」と陰口を叩かれる。
家庭を大切にすることは、本来は社会の土台を強くするはずなのに、個人のわがままとして片付けられてきた。家庭は「休む場所」ではなく「再生産する場所」なのに、その価値が評価されないのだ。
自虐:家庭中心にしたらこうなった
一度、思い切って「家庭優先生活」に切り替えてみた。夕方6時にパソコンを閉じ、土日は仕事メールを一切見ない。平日の夜は夫と夕飯、週末は子どもと全力で遊ぶ時間が増えた。
…が、職場では「あの人、もう野心がないらしい」と噂が立つ。中には「近いうち辞めるらしいよ」なんて話まで。いや、辞めません。むしろ長く働くために燃費を改善してるだけですけど?とツッコミたくなる。
小さな革命は自分から
社会や会社が劇的に変わるのを待っていたら、一生始められない。だから、小さな革命は自分から。
- 会議のスケジュールを家庭の予定に合わせる
- 残業前提の案件は最初から断る
- 大事な日は有休をためらわず使う
最初は「ワガママ」と言われるかもしれない。でも、続けていれば「あの人はそういう人」と認識される。そうなったら勝ちだ。
卒業していい
会社中心の生活は、私たちの世代で終わらせてもいい。会社のために家族を犠牲にするのではなく、家族のために会社と付き合う。その逆転の発想が、これからのスタンダードになればいい。
私はもう、古い会社中心OSからは卒業した。これからは家庭と家族を真ん中に置き、その周囲に仕事を配置する。それが、私の新しい標準設定だ。
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