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旦那まで育てる義務はない

「旦那を育てる?褒めて伸ばす?」
なんでそこまで妻がする必要があるんだろう。
旦那って、結婚してる時点で立派な成人男性ですよね?免許も更新できるし、コンビニでタバコも買える。
なのに現実では、女性には家事も育児も、生活費も稼ぎ、ついでに旦那のメンタルケアまで求められる。
もう一人、別の人間を育てる契約書にサインした覚えはない。


「旦那を転がす」の本当の意味

よく聞く、「旦那を上手に転がすのが妻の腕前」というセリフ。
転がすってボーリングの球じゃないんだから。
しかも、ガーターに落ちないように気を使いながら、相手の自尊心を守るために常に笑顔をセット販売。
これ、妻が24時間気を使い続ける前提の言葉だと思う。
言い換えれば、「男性を不機嫌にしないためのマネジメント能力」を妻に無料提供させる文化。
いやいや、私たちの人件費は0円じゃないんですけど。


日常業務+感情労働のダブル役

家のことを回すだけでも手一杯。
家族のカレンダーを管理し、子どもの行事を把握し、保育園の持ち物を忘れずに用意し、
なぜか夫の飲み会の日程まで暗記している。
その上で、「いつもありがとう」と言って笑顔で褒めるサービスがセットになっている。
この「褒め業務」、時給換算したら恐らく外資コンサル並みの額になるはず。
でも現実は、昇給どころか「それが当然」の扱い。


甘えの構造

世の中全体が、女性に甘えすぎだと思う。
「うちの夫は手伝ってくれるだけマシ」という言葉を何度聞いたか。
でもそれ、そもそも“手伝う”っていう時点でスタート地点が間違ってる。
パートナーなら、家事も育児も自分ごと。
「手伝う」という言葉には、責任の所在を妻に置いたままの空気がにじんでいる。


育成文化のルーツ

「夫は育てるもの」という考え方、昭和の家父長制の影響が色濃い。
昔は男性が外で稼ぎ、女性が家庭を支える分業モデルだったから、
家のことに不慣れな男性を妻が教えるのは“仕方ない”とされていた。
でも今は、妻も外で働き、夫も家庭にいる時間が増えたはずなのに、
育成役だけが女性のまま固定されている。
アップデートされない昭和プログラム、そろそろアンインストールしませんか。


夫は弟子じゃない

旦那はパートナーであって、弟子でも生徒でもない。
「旦那を育てる」と聞くたびに思う。
もし彼が職場で「使えない新人」扱いされたら、私たちはその上司に「もっと褒めて伸ばしてあげて」なんて言うだろうか?
言わないですよね。だって本人が自分で学び、成長するべきだから。
なのに家庭内だと、その学びの責任が全部妻に降ってくる。
これはもう、家庭内OJT(しかも無給)だ。


自分を減らさないために

結局、妻が夫を育て続ける構造って、自分の時間とエネルギーを削って相手に与え続けること。
それを繰り返すと、自分の人生の主役の座がじわじわ奪われていく。
だから私は、旦那育成業務を徐々に縮小中。
洗濯物を干し忘れても、「あ、そうなんだ」とだけ言う。
忘れ物をしても、届けない。
こういう小さな“放置”が、自立の第一歩になる…はず。


最後に

結婚は共同経営だと思っている。
経営パートナーを“育てる”ために、片方が常にエネルギーを注ぎ続けるモデルは破綻している。
必要なのは、お互いが自分で立って、歩く力を持つこと。
旦那まで育てる義務は、妻の人生の必須科目じゃない。
私はもう、卒業試験を勝手に終えたことにしている。

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この記事を書いた人

40代で突入した「更年期という異世界」──。
ホルモンの波に飲まれながら、それでも笑って進む旅の記録。
書き手:ふぇみにーぬ(エッセイスト/Threadsで生き延びてる人)

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