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「こちとら既婚者だけど、恋も出会いも若者だけのものなの?」

目次

第1章|こちとら既婚者だけど、恋に揺れる夜がある

「もう恋なんかしない」


そう思ってた。


いや、正確に言うと「もう恋なんかできない」と、

どこかで勝手に決めつけてたのかもしれない。

日々は仕事と家事と育児と、時々病院。


恋愛なんて単語、手の届かない棚の上に置いたつもりだった。


なのにある夜、ふと心が動いた。

SNSで交わした何気ないやりとり。


帰り道にふいにかけられた「おつかれさま」のひと言。


それだけのことで、私の中に“ときめき”に似た何かが走った。

こちとら既婚者だけど。


でも、恋って本当に、もう自分には関係ないものなの?

第2章|恋は若者のもの、なんて誰が決めた?

「40代で恋とか…痛いって思われそう」


「既婚者なのに恋愛感情があるなんて、おかしいかな」


そんな言葉が、心の中にこっそり浮かんだことはないだろうか。

私たちはいつのまにか、


「恋は若者の特権」という前提のなかで生きてきた。

ドラマの恋愛はいつも20代、せいぜい30代前半。


CMも広告も、恋といえば“フレッシュな2人”が主人公だ。


結婚したら“恋”は終わって、“家族愛”に切り替わるのが当然だと刷り込まれている。

だけどね、


恋愛って、年齢で区切られるものじゃない。

心が揺れるときは揺れるし、


誰かと目が合ってドキッとするのは、40代だって50代だって、当たり前にある。

それを「もうそんな年なのに」って、


誰かじゃなくて自分自身が真っ先に否定してしまうのって、ちょっと悲しくない?


「恋をしてはいけない」んじゃない。


「恋を感じても、見なかったことにしなきゃいけない」


そんな空気が、私たちをずっと縛ってきた気がする。


でもここで、ちょっとだけ声を大にして言いたい。

💘恋に年齢制限はない。
恋に“若さ”は関係ない。
そして、恋に“立場”も関係ない。

恋に似た感情を持つたびに、自分を責めなくていい。

「ときめいた自分」を、ちゃんと許してあげてほしい。

第3章|恋じゃなくても、心が動く瞬間はある

たとえば、仕事帰りのエレベーターで


「おつかれさま」と優しい声をかけられたとき。

たとえば、SNSで何気なく褒められたとき。

それだけで、ちょっと心がふわっとした自分に気づく瞬間がある。


それはべつに、恋をしたいわけじゃない。

ときめきを追いかけたいわけでもない。

でも──

人と人が通じ合うあたたかさに、触れたいと思う気持ちは残ってる。


私たちは、“恋”という名前がつく感情じゃないと


「これはなんなんだろう」

「どう処理すればいいんだろう」と

戸惑ってしまう。

でもさ。

もっとゆるやかに考えてもいいんじゃない?


誰かに優しくされた。
それがうれしかった。

誰かに褒められた。
なんか照れくさかった。

それで充分、心が生きてるってことじゃない?


若いころは、こういう“感情の波”を全部「恋」って言ってた。


でも今は、それに名前をつけなくてもよくなった。

ときめきでも、共鳴でも、


自分の中の**“何かが確かに反応する瞬間”**を、


ただそっと味わえばいい。

第4章|既婚でも、恋に揺れることがある。そしてそれは悪いことじゃない

こちとら既婚者だけど──


正直、「ちょっと好きかも」って思ってしまった瞬間、一度や二度はある。

パートナーとは安定してる。


不満があるわけじゃない。

いや、、、あるけども笑


でも、恋に似た感情がふっと訪れることは、普通にある。


そのたびに「いけない」「やばい」「そんな自分ダメだ」って


心の中で赤信号を鳴らしてしまう。

でも、本当にそれって“悪いこと”なんだろうか?


行動に移すわけじゃない。

ただ心が動いただけ。

たまたま誰かの言葉が沁みてしまっただけ。

恋に似た気持ちは、
誰かを裏切った証じゃなくて、
“まだ感情が生きてる”っていう証拠なんじゃないか。


そしてたまに思う。


もしかしたらこの年齢って、


「人生で最後にもう一度、ときめいてもいいんじゃないか」って、


ホルモンがこっそり囁いてくるタイミングなのかもしれない。


体も心も変わっていく中で、


“わたしはまだ、誰かに好かれる可能性がある”って思えるだけで、


ちょっと呼吸がしやすくなる夜もある。


💭恋に落ちたくて揺れるんじゃない。
ただ、人として誰かと心が通じる喜びを、
もう一度味わいたくなることがある
だけ。

第5章|そして、大人のための出会いも、あっていい

恋とか、ときめきとか、


そういう言葉を、


「自分にはもう関係ないもの」って片づけてきた。

だけど──


大人にだって、出会いは必要だ。

それは恋愛に限らない。


新しい価値観に出会うこと、


誰かの言葉に救われること、


ちょっと心が動く関係が生まれること。


それだけで、人間ってホルモンがイキイキするのよ。

科学的な根拠とか知らんけど、


体感的には完全に実証済(byふぇみにーぬ)


たとえば、


「この人と話してると、なんか元気出るな」


「また会えたらうれしいな」


そんな感情が芽生えるだけで、


生きてる実感って、不思議と増す。


でもね、忘れないで。

人との出会いって、


ときめくこともあれば、気をつかって消耗することもある。

だから──

💭疲れたら、恋も出会いも、いったんおやすみでいいの。


がんばらなくてもいいし、


無理に「恋してます」って思い込まなくてもいい。

またホルモンが元気な日が来たら、


そのときちょっとだけ、ときめけばいい。


出会いに、正解も、年齢制限もない。


恋に似た何かを、誰かに感じたとき。


そのときの自分の感情にだけは、ちゃんとやさしくしてあげたい。

第6章|恋も出会いも、人生に遅すぎるなんてない

「もう若くないから」


「既婚者だから」


「今さら何を期待してるんだろう」

そうやって、


自分の心にブレーキをかけてきた人は、きっと多い。

でも、


誰かと気持ちが通い合う瞬間を“欲しい”と思うことに、
言い訳も、年齢制限も、いらない。


恋に落ちなくてもいい。
誰かと笑えたら、それだけでうれしい。

ときめきじゃなくても、
「生きててよかった」って思える会話があれば、それで充分。


40代、50代、60代になったって、


人は変わり続けるし、


誰かとの出会いで、自分が少しずつ書き換わっていくこともある。

むしろ、大人になった今だからこそ、


“無理しない距離感”でつながる関係に、恋とは違う優しい魔法が宿る。


だから、こう言いたい。

💗恋も、出会いも、
人生に遅すぎるなんて、絶対にない。

わたしたちは今日も、誰かにやさしくされたいし、
やさしくしたい。

それって、もう立派な恋の一歩じゃない?


🟢そして最後にふぇみにーぬから──

もし、誰かにときめいた夜があってもいい。


もし、少し心が疲れたら、そっと休めばいい。


恋しなきゃって焦らなくていい。


出会わなきゃって無理しなくていい。

でも、「恋をしてもいい」


「出会いを求めてもいい」


そうやって、自分に許すことができたら、
人生は少し、自由になる。

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この記事を書いた人

40代で突入した「更年期という異世界」──。
ホルモンの波に飲まれながら、それでも笑って進む旅の記録。
書き手:ふぇみにーぬ(エッセイスト/Threadsで生き延びてる人)

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