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東京クラブカルチャーの原点|無名時代のm-floとRIP SLYMEがいた頃

🕶️ 星が生まれた街:ミレニアム前後の東京クラブシーンから生まれたスターたち

2000年前後。高校はすでに卒業していたけれど、
代官山、渋谷、恵比寿、六本木——東京の夜は熱かった。

ライブハウスやクラブの最前線にいたのは、
当時まだ“インディーズ”だった人たち。

m-floはまだテレビには出ていなかった。
代官山UNITや渋谷の小さなクラブで、
LISAの歌声とVERBALのラップが、
フロアの空気を一気に変えていた。
観客は100人もいなかったかもしれない。
でも、その音は間違いなく”未来”だった。

RIP SLYMEは、インストアライブでファンを沸かせていた。
Dragon Ashの降谷くん(Kj)は、
アフロ姿で代官山の箱でライブをしていた。
観客はほんの数人。でも、空気は燃えていた。

──その人たちが、数年後にはテレビやチャートに登場する。
その瞬間を、東京で感じられたのは特別だった。

🎧 ミクスチャー、渋谷系、ブラックミュージック系…

音楽のジャンルが混ざり合い、街を包んでいた時代。

クラブではミクスチャーバンドが熱狂を生んでいた。
渋谷系のキラキラしたサウンドは、
ファッションとともに街に溶け込んでいた。
ブラックミュージック系のグルーヴは、
深夜のフロアを揺らしていた。

夜は制服じゃなかった。
ちゃんと着替えて、“夜用の自分”になって街に出ていた。
それが当たり前だった。

🌃 六本木、渋谷、恵比寿——夜を知る街

タワレコ、wave、Virginレコード、HMV——
CDショップで試聴して、掘って、選ぶ。
手に入れた音楽を持って、また夜の街へ。

当時の東京では、
音楽もファッションも、「おしゃれ」がすべての基準だった。

雑誌では女子高生のストリートスナップがメイン。
休日はウィンドウショッピングとカフェのおしゃべりで、
完璧に満たされていた。

カルチャーを動かしていたのは、大人じゃなかった。
“センスのある若者”だった。

🎤 あの頃の熱を、ちゃんと記録に残したい

スマホもSNSもなかった時代。
口コミと感性と、少しの勇気だけで、
私たちは街を作っていた。

あれは幻じゃない。
確かに、そこにあった光景だった。

今も形を変えて残ってはいるけれど、
“はじまりの熱”を言葉にしておきたくて、
今これを書いています。

📝 次回予告|あの頃、ストリートは“雑誌”だった

今ではスマホでスナップが日常だけど、
当時は「雑誌に載る」ことが最高のステータスだった。

ストニュー(STREET NEWS)に載ったあの子、
Egg、Zipper、CUTEの読モたち、
プリ帳に貼ったストリートスナップ。

街で輝いていたのは、
アイドルじゃなく“リアルな高校生”だった。

次回は、そんな「ストリートスナップ黄金期」の話を──

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この記事を書いた人

40代で突入した「更年期という異世界」──。
ホルモンの波に飲まれながら、それでも笑って進む旅の記録。
書き手:ふぇみにーぬ(エッセイスト/Threadsで生き延びてる人)

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